yoko's profile韓国留学記 ~その後編~BlogLists Tools Help

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    May 30

    おごり文化

    韓国では あまり 割り勘をしない。

    グループで食べに行っても、大体は 誰か一人がおごる。

    学生同士でも、食事をおごったら 相手はコーヒーをおごったりする。

     

    目上の人と 食事をする場合は、たいてい おごってもらう。

    いつもおごられるので、すまない気持ちになってしまう。慣れない。

     

    友人は、昼食ごとに 先輩に食事をおごってもらっていた。

    その先輩も、昔は上の人におごられていたのだから、

    めぐりめぐって おごる、という考えらしい。

     

    また、ある人は、「割り勘をすると、相手との関係が

    その場で途絶えてしまうような 寂しさを覚える」と言っていた。

    相手に迷惑をかけたり 借りを作るのを 負担に思う私などは、

    割り勘は 気が楽だけれども。

     

    けれども 確かに、「今日は私がおごるから、次はあなたがおごってね」 

    という 韓国の決まり文句からは、

    関係を 次にも繋げていこう、という意志を感じるなぁ、とも思う。

    May 17

    国語の中の愛国心

    韓国の人たちは、愛国心が強いと思う。

    愛国心教育も 盛んな方だと思う。

     

    韓国の 中学校の国語教科書を見ると、

    国花である 「むくげ」を題材にした 説明文や

    日帝時代の 困難を経験してきた人の小説、

    韓国の国旗「太極旗」の起源、そして 1930年代、

    侵略されゆく祖国を思って詠んだ詩、などが掲載してある。

     

    その すべてが 愛国心と繋がるわけではないが、

    やはり 教科書の端々から 祖国への愛を感じる。

     

    知人の中には、脈絡もなく 「韓国は一番だ」とか言う人も 多いし、

    韓国の技術分野の発展を 朗々と語って下さる人もいる。

     

    一方で、それを 気に食わないと感じる日本人も多い。

    ある日本人は、「他の国に行ってもみないで 自分の国が

    一番だと言う 韓国人を見ると 腹が立つ」と言う。

     

    その気持ちも わからないではないが、自国を 

    自慢したいと思うのは 誰でも 一緒ではないかな、と思う。

    度が過ぎたり、他人に嫌な思いをさせるようだと 問題だけれど。

     

    ↓韓国の国花・むくげ

    May 13

    文化遺産に物思う

    韓国の国宝第一号は 「崇礼門(通称・南大門)」だ。

    李氏朝鮮時代に、ソウルの正門の役割を果たした。

    しかし この南大門に関して、

    これまで 詳細な実測調査は 行われてこなかった。

     

    それは 東大門も同様である。東大門は、資料不足に加えて

    田の上に石を組み立てて建設したこと、そして 度重なる 

    地下鉄の建設のために、地盤沈下が心配されている。

     

    実測調査や図面がない場合、復元作業の時に困る。

    原型に忠実に 復元できなくなるのである。

    韓国の石造の遺産の場合は、その60パーセント以上が

    詳細な資料が 全くない状態だそうだ。

     

    こうした現状の背景には、

    文化遺産に対する 関心の欠如が挙げられると思う。

    遺産に関して、人々は もっと関心を持つべきであるのに…。

     

    これまで韓国は、歴史的に さまざま困難に遭ってきた。

    文化財保護をするには 大変 難しい境遇であったことは 確かだし、

    今後、文化財を修復するとなると、予算的にも 簡単なことではない。

    けれども 誇れる文化遺産は 残しておくべきであるし、

    一人の 外国人として、この現状を 惜しいと思う。

     

    ↓写真は、昌慶宮の弘化門。築400年。

    May 12

    宗教のはなし

    韓国の街に 十字架がない街はない。

    それほど、教会が多く、キリスト教徒も多い。

     

    韓国の教会と 一言で言っても、さまざまな教会がある。

    大きな、牧師さんがマイクを使って話される教会、

    小さくても 地域コミュニティーの役割を果たしているような教会、

    ビルの一室で、若い人たちが 行事や勉強会を盛んに行う教会など、

    数え切れないほどの 教会がある。

     

    私が 留学生活で出会った人の、半分以上は キリスト教徒だった。

    そして、何度も何度も 教会に行こうと誘われた。

    経験だからと 誘われて、いろいろな教会に行った。

     

    そこでは さまざまな言葉を 聞いてきた。

    教会で聖書を勉強するのは、韓国の文化を勉強することだとか、

    日本の歴史も韓国の歴史も、全部聖書から繋がっていることだとか、

    一番の宗教だとか、グローバルスタンダードだとか。

     

    いままで 接したことのなかった世界だったので 驚いたことも多かった。

    一度に数人の人に囲まれ、聖書の大切さを説かれたときは 

    正直、少し こわかった。

     

    ある知人が、私が いつまでたっても 宗教に関心を持たないからと、

    私から離れていったこともある。 悲しいことだ。宗教を強く信じるあまり、

    信じない人を 負担に思ったり、許せなくなることが あるのだろうか。

     

    誘う人は、良かれと思って 誘ってくださるのだろう。 けれども、

    宗教を信じるも 信じないも、その宗教が 人によって違うということも、

    認めることができる 寛容さを持っていたいし、

    相手にも そうあってもらいたいと 強く願うばかりだ。

    May 11

    渡韓にあたって

    私は 韓国への留学を、

    自分でも驚くほど すんなりと決意した。 というよりも、

    自分の体が勝手に 「行くものだ」と 感じていたような気がする。

     

    留学を決め、友人や知人に その報告をした。

    多くの人に 励ましてもらったし、気遣ってもらった。

     

    しかし ある人々からは

    「あっち(韓国)の人と 一緒になっちゃ、だめだよ」

    「どうして 韓国なんかに行くんだ」

    「韓国に行ったら、日本人だからって 石を投げられるぞ」

    「韓国の鉄道も道路も、日本が作ってやったのに」 などと 言われた。

     

    悔しくて、悲しくて、腹が立って、

    その人と話している間中、震えが とまらなかった。

    こういう考えを持つ人がいるとは知っていたが、

    その人たちが 私の身近にいる、ということもショックだった。

     

    考えは 人それぞれ、それをとやかく言うことはできないと 私は思う。

    けれど、一度も行った事のない国について、

    こういう言葉を発するということは おかしいと思うし、私は 軽蔑する。

     

    「鉄道も道路も、日本が作った」というのは、事実かもしれない。

    けれど、鉄道や道路を作ったその目的は 何だったのか、

    考えたことがある人は どれほどいるのだろうか。