Profilo di yoko韓国留学記 ~その後編~BlogElenchi Strumenti Guida

韓国留学記 ~その後編~

留学を終え、いま日本に住んでいます。
24 aprile

お知らせ

 
    『韓国』または『韓国留学』で検索されて いらっしゃった方へ・・・
   韓国のことなどは、 韓国関係の各カテゴリ または
   2004年11月~2005年6月 までの記事をご覧ください。
 
    ※2006年4月末~ 更新を休止しています。 
14 aprile

ひさしぶりに

ひさしぶりに 更新します。
 
 
■ m i x i  のこと
 
巷(?)では mixiが流行っているのか、
最近 いろんな人からお誘いを受ける。
実は 友羅さんから 半年か 一年くらい前に お誘いを受けて、
そのとき一応自分のサイト(?)をもったのだけれど
なかなか億劫で、いまだに 一度も 日記を書いていない。
 
mixiの特徴は 2つある気がする。
まず、mixiには 『コミュニティ』というものがあって
たとえば 出身地とか、好きな音楽とか 出身学校とか
趣味・興味とか あるテーマをもっていて、
そのコミュニティに参加して、知らない人と共通の話題で盛り上がれたりする。
 
そして自分が誰かから『この人はこんな人だヨ』と紹介されたり、
自分も誰かを紹介できたりする。
実生活の人間関係の延長で 匿名性が薄いブログ、という感じ。
人とのつながりが微妙にあって、距離感も微妙に近い。
なんか不思議な感じがするモノなので 皆さんもお試しあれ。
 
 
 
■自費出版
 
自費出版の会社が 倒産した、というニュースが衝撃的だった。
もっとびっくりしたのは、その自費出版する値段。何百万とかいう。
 
ある公務員は退職金をつぎ込んで『自分史』を出版するとか、
自分の本を出したい人が すごく多いんだなとしみじみ思った。
ローンを組んで出版するという方もいらっしゃると、新聞記事は伝えていて、
その話にも また 驚いた。
 
 
 
■クッキ
 
久々 韓国の話題。
NHK BSで放送中の『クッキ』が おもしろい。
仕事の関係でいつも 中盤からしか見られないけれど、
中盤から見ても 話の内容がわかるところがいい。
(↑これは韓国ドラマの特徴だと思う!)
 
あと、ご存知の方も多いと思うが 韓国ドラマはふつう、週2回放送がある。
月火ドラマ、水木ドラマ、というように。
『クッキ』も本来 週2回放送を、週1回放送なので、少し物足りない。
次の週になっていると、先週の内容を忘れてしまうし。
日本のドラマも週2回にすればいいのに・・・、なんて思う。
 
 
 
17 marzo

ふつうの日のこと

さいきん 持ち歩いている本。
 
 
■山口瞳 『男性自身』
 
どんなケバケバしい書籍なのかと戸惑いつつ、
以前の職場の先輩がすすめてくださった 山口瞳さん。
 
手にとって読んでみると、
(読む、というより眺める、と言ったほうがいいかもしれない、)
目で追っていくという作業がなかなか進まない。
と油断していると とたんに呑みこまれていく。
 
端々に せつなさやさみしさを感じ、
その底には たっぷりのやさしさがあふれている。
 
 
■青木玉 『幸田文の箪笥の引き出し』
 
幸田文と青木玉が親子関係だったということ、
青木玉という人がいるということも、
前述の 先輩が、教えてくだすった。
 
(今思うと、すごくありがたいことをいろんな人にされてきて、
 当時は それをよく感じ取れなかった、鈍かったと思う。
 それが 何年も後に その人のありがたみがわかるというのが情けなくもあり、
 その人が どれだけすごい人だったのかを改めて感じさせられる。)
 
着付け教室の入門編も終盤にさしかかっているけれど、
ますます着物に魅せられている。
自分で着物を買うのは難しいので、
着物や、小物を見るのが目下の楽しみだ。
 
群ヨウコさんの着物の本(文庫)が平積みされていたので
こちらも後日、読みたいところ。
 
圧巻なのは幸田さんが半襟にほどこした刺繍。
すばらしく繊細で鮮やかな花をちらしてある。
そういうこともあって、刺繍をやってみたいなと思う今日この頃。
 
 
■竹西寛子 『蘭』
 
 小学校のにおいを思いだすような文のリズム。
まだこの本は、覗いただけ。
 
でも 覗いて、ぱっと開いたページの一文を読むだけでも
この人の息づかいを 感じることができるよう。
とてもストレートな わかりやすさがすき。
 
 
 
 
02 marzo

かなしいこと

いつの間にか 前回の更新から半月もたっている。

かなしいことがあった。 いまもよくわからない。うそなのだろうとおもう。

 

わたしのとても大切な ほんとうに大切な人が いなくなってしまって、

夜になると そのひとのことを考えて、眠ろうとする瞼から水滴が落ちてくる。

そのひとは ひとりでこの世からきえてしまった。

そのとき ひとりだったという。 わたしが そのとき そばにいたかったとおもう。

生の淵をわたっていくとき、ひとは一人でそれをわたらなくてはいけないけれど、

それでもそばにいて 手をにぎっていたかったとおもう。

 

そのひとは わたしが韓国にいくときも 韓国にいたときもささえてくれた。

わたしの いつかのゆめは、 そのひとと韓国のはなしをすることだった。

わたしのゆめのとなりに いつもそのひとはいるはずだった。

わたしは そのひとに近づきたくてしかたがなかった。

とうてい おいかけることのできないひとだったけれど、それでも

いつかわたしのゆめを わらって よくやったねとねぎらってくれるかなと期待していた。

 

どうしてもっと よくがんばらなかったんだろうと なさけなくなるばっかりで、

くやしくて かなしくて でもどうしようもないのかとおもう。

たいせつなひとがいなくなってしまうとき、それをいつもおもう。

もっと もっと やさしく接していればよかった、もっと喜ばせたかった、

さみしいおもいをさせたくなかった、楽しい気持ちでいっぱいにしてほしかった。

 

かんこくにいたとき、またべつのはなしだけれどそのときも 大切な人がいなくなってしまって、

ほんとうにかなしかった。お葬式とかそういうことをよくおぼえていない。

たくさんのひとが 大切な人を囲んで、お棺に花束を入れていて、

それにおされて なかなか近くにいけなかった。そうしたら誰かが引っ張っていってくれて

やっと 大切な人の顔をみられて、そこからがよくおぼえていない。

あとからきいたはなしだと、わたしは 大切な人に頬ずりをして大声でないていたらしい。

 

 

いなくなってしまったあとに、いくらでも偉業をたたえることはできる、

でも いなくなってしまったら、もうそのひとの反応をしることができない。

もうそのひとの声をきくこともできない。目を合わせることもできない。

せめてその人の告別式に参列したかったけれど、

まだ一度もあったことのない人だった。

でも わたしにとっては ほんとうに、ほんとうにたいせつなひとだった。

どれだけことばをあつめれば 大切さがつたわるのだろう

そのひとだったら 大切さを伝えることができただろうと思う

15 febbraio

あの子

横浜 もしくはその近郊、関東圏にお住まいの方、

是非、行ってみて欲しい場所があります。

『日本のこども60年』という写真展です。

http://www.jps.gr.jp/nippon_no_kodomo.htm

 

 

あたりまえの日常を切り取った写真も

不条理な力によって 傷ついた子の写真も

心の奥のなつかしさに 囁きかけてくるような写真も

わたしのからだに どんどん響いてきて

なみだを こらえるので せいいっぱいでした。

 

私は 京都会場で、この展示を見ました。 京都という土地柄か、

懐かしい何円札かが写った写真を見ていた人たちが

「あ~これこれ、あったなあ」

「赤いお札やろ、なつかしいなあ」

などと 見知らぬ人同士が 話し始めたりする光景も、

ものすごくしあわせで、胸があふれました。

 

いまも、写真展で出会ったあの子の顔が 目に焼きついて 離れません。

集団就職船に乗り込むときの あの子の表情

お兄ちゃんにいじめられた 妹の泣き顔   遊びに夢中の少女の姿

 

 

----横浜展は 明日2月16日~3月19日までの開催